青い鳥
父が突然死んだのは、中学3年生の11月初めの朝でした。 あまりに突然すぎて、最初は実感がわきませんでした。 でも親戚の人や近所の人が集まり、いろいろ準備が始まると、 だんだんと父は死んだのだと、実感するようになりました。
その夜、布団の中に入ってから、私は歌を口ずさんでいました。 沢田研二さんがいた人気グル−プサウンズ「ザ・タイガ−ス」の ヒット曲「青い鳥」です。
父と母と私と妹の4人家族・・・。あの楽しかった日々はもう2度と 来ないのだと思うと、涙が止まりませんでした。 私の家から青い鳥が逃げて行ってしまったと、そう思いました。 何度も何度も、つぶやくように歌い続けました。
時がたてば悲しみは薄らいできます。でも、受けた衝撃は何年 たっても薄らぐことはありません。 時々この歌を口ずさみながら、遠い日のあの日の私の姿を 思い浮かべて、涙ぐみそうになる私です。
                         (2001.11.12)






そばつゆ
夕飯の支度をしているとき、息子が帰ってきました。部活がなくて 久しぶりに早く帰ったのです。 台所をのぞいておそばだとわかると、私に「おかあさん、今日は ぼくがそばのつゆを作ってあげる。」と言うのです。 私は「じゃ、たのもうかな。」と言って必要な材料をそろえると、 後は黙って見ていました。
息子は家庭科の本とノ−トを持ってきて、分量通りに作ります。 ダシの取り方も基本通りです。何度も何度も味見をしてやっと 完成です。 「どお?」と言って差し出された味見用のお皿。一口飲んでみて 思わず「うまい!」と言うと、息子はとてもうれしそうな顔をしました。 私は涙が出るほどうれしかったです。その日のおそばはいつもと ひと味違う味でした。「ぼくが作った方がおいしいんじゃない?」 などと憎まれ口を聞いていますが、よく作ってくれたと本当にうれしく 思いました。幸せだなと感じたひとときでした。
                         (2001.12.20)






肩こり
親子・・・。どこか似ているのは当たり前だけれど、「肩こり」が似て しまいました。息子の肩こりも相当ガンコです。「いやなとこ、 似ちゃったなあ。」と息子に言われますが、本当にそうだと思い ます。私の肩こりも高校時代からで、重いカバンを持っての 通学にはかなり苦労しました。
息子がまだ赤ちゃんの頃、友達からもらったひもで息子をおんぶ したことがあります。息子は私の背中でキャッキャッと喜んで ごきげんでした。私も息子のぬくもりを背中に感じることができて、 幸せな気分になりました。 でも・・・。次の日、私はひどい肩こりで頭痛と吐き気に悩まされ、 一日中ものも食べられずに寝込んでしまったのです。それ以来 息子をおんぶすることはできませんでした。
「おんぶ」でも「抱っこ」でも、そんなことには関係なく息子はすくすく 育ちましたが、母親として今でも残念に思うのです。 「抱っこ」と同じだけ、「おんぶ」もしてあげたかった。息子がもうすぐ 1人で羽ばたこうとしているのに、そんなことを考えている今日 この頃です。
                         (2002.10.18)






33回忌
父の命日は11月8日。少し早いけれど、3連休の真ん中の日を 選んで、11月3日に33回忌を行いました。 「これで一区切りだね。」そう言う母は、安心と寂しさが入り混じった 顔をしていました。この言葉を聞くのに30年以上の月日が必要 でした。決してこれで終わりではない。悲しみが消え去るわけでも ない。でも、母の心のどこかに1本の線が引かれたような、そんな 気がするのです。母の日常になんら変わりはないけれど、父の ことを忘れられるわけでもないけれど、母は新たな気持ちで これからの人生を生きていくのではないかと思います。
母と、私の家族と、妹の家族と、伯母(母の姉)と、伯父(父の兄) 夫婦、全部で11人のささやかな、そしておだやかな法要でした。 お母さん、父が逝ってしまってから、たった一人で私と妹のために がんばってくれて本当にありがとう。感謝の気持ちでいっぱいです。
                         (2002.11.4)






誕生日
息子の18歳の誕生日。
大きくなるのは早いものだなとつくづく思います。生まれた日の ことはまだはっきり覚えています。1985年1月4日午前7時19分。 体重3060g、身長49cmでした。
今では私を見下ろしているけれど、当時は腕の中にすっぽり入って しまう小ささ。笑った、寝返りした、座った、立った、歩いた! 全てに感動しました。親の苦労と喜びも知りました。1人で大きく なったような顔をしていますが、息子よ、それなりに育てる大変さが あったのだよ。
ともあれ、息子よお誕生日おめでとう!!これからの君の未来に 幸あれと、親はただ祈るばかりです。
                         (2003.1.4)






息子の料理
息子の料理もだいぶ板についてきました。手際がずいぶんよくなり ました。自炊のときに困らないようにと始めたのですが、なかなか 手の込んだものばかりで、主婦の私はちょっと立場がないかな?
それにしても、息子の作ったものを食べられるとは思いません でした。台所に立つ息子の後姿を見ながら、思い出すのは小さい ときのことばかり。いつもいつも私にくっついていた日々が夢の ようです。しっかり自分の道を歩いていく息子。これから困難な ことがたくさんあると思います。でも、くじけずに進んでほしい。 きっとがんばれる!そう信じて、応援します。
                         (2003.2.21)






45.11.5
母から、父が生前仕事で使っていたという事務印をもらって きました。名字と日付入りで、日付のところの数字は、ピンセットで 交換できるようになっています。その日付は「45.11.5」。 昭和45年11月5日。父が亡くなる3日前です。
父は11月6日に体調を崩し、8日の早朝に突然亡くなりました。 父が最後に仕事をした日、その日父は何を思っていたので しょうか?そして、母や私や妹は、何を思い父と生活していたので しょうか? 今となっては遠い遠い過去の出来事になってしまいました。 ただ、事務印だけが当時の日付を刻んだまま、時を止めて しまったように思います。
父が何度も触れたであろう事務印を両手で包み込むと、 父の働く姿が、父の笑顔が、鮮やかによみがえって、胸を 締めつけます。
                         (2003.4.24)






息子からの贈り物
息子から「明日小包が届くから」というメールが来ました。 なんだろうと思って、翌日わくわくしながら待っていました。 届いた小包を開けてみると、それは母の日のプレゼントでした。 とってもかわいいくまのプーさんの置時計です。 「お母さんいつもありがとう。体に気をつけてがんばってね。」と いうメッセージとともに・・・。
思わず涙がこぼれそうになりました。私一人だったらきっと 泣いていたと思います。息子の思いが胸にひしひしと伝わって きました。 遠く離れた我が子からのプレゼントが、こんなにもうれしい ものだなんて!息子の書いた手紙の文字の一つ一つがとても いとおしく感じます。
息子と一緒に遊んだこと、一緒に買い物に行ったこと、一緒に 話したこと、さまざまな思い出が次々に胸にあふれてきます。 息子とのかけがえのない、とても貴重な時間でした。 これからも、たとえ離れていても、いつまでも親子の絆は 大切にしていきたい。心に強く思いました。

息子がプレゼントしてくれた時計の写真です♪

                         (2003.5.12)






2003年4月7日
2003年4月7日。鉄腕アトムの誕生日だというこの日に、 息子は大学の入学式を迎えた。入学式が終わったあと、主人と 二人で飛行機に乗り、我が家に帰ってきた。家から行く時は 3人だった。でも、帰りは2人。家に入り、息子の部屋を見た時に、 寂しさがこみ上げた。もう会いたい時に、すぐに会えなくなって しまった。家の中のどこを見ても、息子の姿はない。 その事実を突きつけられた時、叫びだしたい衝動に駆られた。 生まれた時からずっと息子を見つめてきた。いつもいつも息子の ことを考えていた。様々な思い出が次から次へと浮かんでは消えた。 家族3人で暮らすことはもうないのだ。そのことが心を重くする。 いつになったら立ち直れるのだろうか・・。そんなことを考えていた。
あれから今日でちょうど1年。ようやく立ち直ったような気がする。 息子もむこうでの生活にすっかり慣れ、充実した大学生活を 送っている。元気でいれば、どこで生活していようともいいのだ。 そう思えるようになってきた。子供の親離れはあっという間だ。 でも、親の子離れは時間がかかる。毎年4月7日が来るたびに 2003年の4月7日を思い出すことだろう。だが、その日は 悲しい思い出の日ではなく、息子の新たな旅立ちの、うれしい 日なのだ。あの日、桜が満開だった。そのきれいさは決して 忘れない。
今日、息子から荷物が届いた。その中には写真が・・・。 昨年の入学式の帰りに、主人と二人で見た満開の桜。 その桜の写真だった。今年も変わらずにきれいに咲いていた。
2003年4月7日。
鉄腕アトムの誕生日。そして、我が家の大切な記念日・・・。
                         (2004.4.7)






親知らず
友達の娘さんが、親知らずが生えてくるのか、歯が痛いと言っている。 そのことで思い出したことがある。
息子が小学生の時、歯の矯正治療を始める前にレントゲンを 撮った。親知らずがあるかどうかを調べるためだ。 親知らずがあると矯正治療に支障があるので、生えていない場合は、 歯ぐきを切開してまでも抜かなくてはならない。 だが、息子には親知らずは1本もなかった。歯医者さんが「これは 遺伝です。お父さん、お母さんのどちらかが、親知らずがないのです。」 と言った。
そう、これは私の遺伝。私には親知らずが1本もない。歯医者さんは 息子に、「いいところが似たね。」とにこにこして言った。 あるか無いかで、大変な違いだ。息子は痛い思いをしなくてすんだ。 でも・・・。よく考えれば、「私に似てよかったでしょ。」と胸を張って 言えるのが、これしかないのではないだろうか?そのことに気づき、 愕然とする・・・。ま、ひとつでもあればいいかな?ないよりは・・・。
                         (2004.4.24)