*2006年*
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一夢庵風流記
隆慶一郎
☆☆☆☆
異風の姿形を好み、異様な振る舞いで人を驚かすことを「傾く(かぶく)」という。
人々から「かぶき者」と呼ばれた前田慶次郎の、痛快な生涯を描いた作品。
前田慶次郎は、前田利家の兄前田利久の養子だった。本来なら前田家の家督を
相続するはずであったが、利家が兄に代わり家督を相続したために、運命は
大きく変わった。そのため前田利家との確執はあったけれど、慶次郎の人柄は
周りの人たちをひきつける魅力があり、多くの者に慕われていた。大きな歴史の
うねりの中、前田慶次郎の名前を知る人は少ないのではないかと思う。だが、
彼の果たした役割は、歴史のところどころできらりと光っている。作者も決して
それを見逃さなかった。読んでいてとにかく面白かった。世の中にこんな男が
いたのかと驚きもした。歴史好きな私には、読み応えがあり満足できる作品
だった。
北の旗雲
高橋揆一郎
☆☆☆☆
昼間は働き、夜は夜間学校に通う正彦。太平洋戦争末期から終戦、そして
戦後の時代のうねりの中、10代の少年は何を見つめ何を思って生きていたのか?
作者の自伝的作品。
お国のために死ぬことを教えられ続けてきた少年たち。彼らの日常生活は、
今の少年たちとは比べものにならないほど、まじめで純真なものだった。
だが、敗戦は彼らの生活を一変させる。ついこの間まで敵国だったアメリカとの
関係は、戦後劇的に変化した。その変化についていけない人たち、ついていこうと
する人たち。正彦の心も揺れる。その心の揺らぎは、しだいに彼を大人にしてゆく。
戦争により運命を捻じ曲げられてしまった友、ほのかな思いを寄せる女性の存在
などを織り交ぜて、作品は一人の少年の心のうちを鮮やかに描いている。とても
興味深い作品だった。
殺人症候群
貫井徳郎
☆☆☆☆☆
「なぜ、こんなにひどい殺され方をしなければならなかったのだろうか?」
やり場のない深い悲しみ、そして相手を殺したいと思うほどの憎しみ。人を人とも
思わない加害者を抹殺するのははたして悪か?さまざまな問題を投げかける、症候群
シリーズ第3作。
未成年というだけで、精神を病んでいるというだけで、殺人を犯してもたいした
罪には問われない。数年の後には社会復帰して、何食わぬ顔で普通の生活をする。
そんな加害者の姿を見たら、被害者の家族はいったいどう思うのだろうか?
まして、加害者側の人間に反省の色が見えないとしたら?おそらく憎しみで
いっぱいになるに違いない。それは、相手を殺したいほどの憎しみかもしれない。
「法が裁いてくれないのなら、自分の手で。」愛する家族を失った者がそう
考えたとしても、それは無理のないことだ。この作品に登場する人たちの
心に残る深い傷・・・。それを死ぬまで抱えなければならないつらさは想像を絶する。
もし自分がその立場になったなら、「復讐のための殺人はいけない。」とは
言えないだろう。何が悪で何が正義か?この作品が読者に問いかけるものは、あまりに
大きすぎて重すぎる。とても深く考えさせられる作品だった。
讃歌
篠田節子
☆☆☆☆
かつての天才少女ヴァイオリニスト柳原園子。彼女は30年近く音楽から
遠ざかっていたが、現在はヴィオリストとして人々の心に深い感動を与えて
いた。彼女の栄光と挫折そして再生を描いたテレビ番組は大反響を巻き起こす。
だが、それははたして真実だったのか?
何がどうなるべきだったのか?何がいけなかったのか?柳原園子の半生を描いた
番組は、事態を思わぬ方向に向け始める。どこまでが真実でどこまでが虚偽か?
いや、もともとそういうものはなかったのかもしれない。人々の解釈の仕方、思惑、
そして時には感情までが、たった一つしかない真実を多種多様に変化させたのでは
ないだろうか。毀誉褒貶の嵐の中、園子は何を思っていたのだろう?どんなものでも
それを「極める」ということは容易なことではない。好きとか、愛しているだけでは
乗り越えられない壁がある。そのことに気づいたとき園子は・・・・。とても切ない
作品だった。
誘拐症候群
貫井徳郎
☆☆☆☆
「ジーニアス」と名乗る男。彼は幼児誘拐を計画し、自分の手を汚さずに
身代金をせしめていた。警視庁の環敬吾率いる影のチームはジーニアスを
追うが・・・。「症候群シリーズ」第2弾。
周到な計画を立て誘拐を実行するジーニアス。だが、完全犯罪などというのは、
どんな犯罪にも絶対にありえない。ジーニアスの正体は思わぬところから
暴かれる。ひとつひとつの小さな手がかりから、犯人にたどり着くその過程が、
読んでいてとても面白かった。だが、環のチームにいる托鉢僧の武藤が巻き込まれた
誘拐事件は、読んでいて胸が痛んだ。何の罪もない幼い子供たちが事件に巻き込まれる
ケースが、現実にも数多く起こっている。子供が安心して外で遊べることができる日は、
はたして来るのだろうか?
陽気なギャングの日常と襲撃
伊坂幸太郎
☆☆☆☆
スリが得意な男、ウソを見抜く男、正確な体内時計を持つ女、演説好きな男。
相変わらずの4人組。彼らの日常生活の中にも、スリリングな出来事があった。
おなじみの4人の日常の様子は?そして周囲で巻き起こる出来事とは?
「陽気なギャングが地球を回す」の続編ともいえる作品。
短編のようで短編ではない。独立した話のようでそうではない。それぞれの話が
微妙にリンクしているところがある。作者得意の手法だ。今回も起こる出来事は
けっこう深刻なものが多い。だが4人なら何とか解決してくれるだろうという
安心した気持ちで読んだ。彼らのチームワークは抜群。そして、飄々とした外見
からは想像も出来ないほどの洞察力。充分に作品を楽しんだ。できるなら、また
4人に別の作品で会いたいものだ。作者にぜひお願いしたい。
陽気なギャングが地球を回す
伊坂幸太郎
☆☆☆
スリが得意な男、ウソを見抜く男、正確な体内時計を持つ女、演説好きな男。
考え方も個性もばらばらな4人組が銀行を襲撃した。周到な計画で成功するかに
思えたが・・・。
軽いテンポの作品。銀行襲撃、いじめ、殺人など、内容は深刻なのだがまったく
それを感じさせない。読んでいて、何とかなるのだろうという楽観的な気持ちに
なるから不思議だ。合わなさそうで、ぴったりと呼吸が合っている4人。作者は
強烈な個性の4人をうまくまとめている。でも、実際にこんな4人組がいたらかなり
目立つのでは?と思うが。最初から最後まで飽きることなく楽しめた。ピースが
おさまるところにきちっとおさまったラストもお見事♪
墜落現場 遺された人たち
飯塚訓
☆☆☆☆
1985年8月12日。羽田発大阪行きの日航機123便が御巣鷹山に
墜落、乗員乗客520人が死亡した。この世界に類を見ない大事故の
混乱を極める現場の様子、そして遺された人たちの様子を描いた作品。
同じ著者による「墜落遺体」を読んだときの衝撃は今でも忘れない。
今回読んだこの作品も、私にはすごい衝撃だった。遺された家族の悲しみ、
事故後の処理に当たる人たちの混乱や苦悩がひしひしと伝わってくる。
遺された家族の心の傷もひどかったと思うが、事故現場で働く人たちの
心にも大きな傷が残ったと思う。人の命が、こんなふうに断ち切られていいのか!
あんな無残な最期を迎えなければならなかったのはなぜか?改めて悲しみと怒りが
こみ上げてくる。この墜落事故を決して忘れてはならない。航空会社に、より
いっそうの安全性を求めたい。
終末のフール
伊坂幸太郎
☆☆☆☆
地球に小惑星が衝突する。その運命の日は刻々と迫っている。
どこにも逃げ場がなく運命を受け入れなければならなくなったとき、
人は何を考えどう生きていこうとするのか?
毎日の平凡な生活があと何年か後には失われてしまう。終わりが見えている人生。
自暴自棄になる人、耐え切れずに自ら死を選ぶ人、他人を襲う人。架空の物語
なのだけれど、読んでいて背筋がぞくっとなった。人類最期のときまで、いったい
何をすべきなのか?いつもの日常が断ち切られるなんて想像もできないけれど、
実際にこういうことが起こったら、私も耐えられなくなるかもしれない。
この絶望的な状況の中でいつもの生活を送ろうとする人が、とても強く見える。
確実な未来なんてない。そのことに気づかされるこの作品が、とても重く感じた。
少女の器
灰谷健次郎
☆☆☆
両親が離婚した後、母峰子と暮らしている絣。彼女は時々父万三の
所にも遊びに行っていた。父母、母の恋人、父の恋人、絣の男友達。
さまざまな人と触れ合いながら心の成長を遂げていく少女の物語。
絣はどこにでもいる女の子だ。悩みも、他の少女と似たり寄ったりだと思う。
ただ彼女には繊細すぎるところがあって、自分を分析して自分自身を責めて
しまうことがある。はたして自分の取った行動はそれでよかったのか?自分の
言ったことは相手を傷つけなかったか?だが、そういう苦悩の一つ一つが
彼女を成長させる糧となる。絣という一人の人間の、少女から大人の女性へと変わり
ゆくさまがとてもよく描かれていた。この作品を読んで、「こんな娘がほしい!」と
言った人がいるそうだが、何となく分かるような気がした。
スタイリッシュ・キッズ
鷺沢萠
☆☆☆
「あたしたちってカッコ良かったよね。」理恵の言葉の中に秘められて
いるものは?久志と理恵、彼らの友人たち、そして彼らの家族を瑞々しい
感覚で描いた作品。
どこにでもある日常の風景。何気なくいつもどおりの生活を送る人たち。
その中で知り合った久志と理恵。だが読んでいて、二人の関係はつねに
ふわふわした不安定さを感じさせた。理恵の何気ないしぐさの中にも、彼女の
心の動揺が垣間見える。大人と子供のはざまで、だれもが必ず経験するで
あろうほろ苦い思いを、作者は鋭い感性で描いている。静かな湖面を連想させる
ような文章だったが、物事が淡々と描かれすぎていて、ちょっと物足りなさを感じた。
雪屋のロッスさん
いしいしんじ
☆☆☆
ロッスさん。彼は、望まれればどんなところにも雪を降らせることの
出来る有名な雪屋だった。ある日、雪を憎む男が現れたが・・・。
表題作を含む30編の作品を収録。
190ページ足らずの本の中に収められた30もの物語。中には、読み始めたと
思ったらあっという間に終わってしまったものもあった。だが、短いけれど
心にしっかり残る作品も数多くあった。心の奥底を見せられたような気がして
はっとした話、語られる言葉の中に深い意味を秘めた話、、行く末を切なく感じる
話・・・。中にはどうしても理解できないものもあったが。
この作品を読んでいると、子供の頃おとぎ話を読んでいた気持ちを思い出す。
あの時の感覚とそっくりだ。この作品はおとなのためのおとぎ話と言っても
いいのではないだろうか。いしいしんじの世界を思いっきり楽しめる作品だった。
Presents
角田光代
☆☆☆☆
贈ったもの、贈られたもの、そこには忘れられない大切な思い出がある。
プレゼントにまつわる12の作品を収録。
作者が言うように、プレゼントを贈るより贈られるほうが、はるかに多い。
それは、形があるものやないものさまざまだ。何気ないプレゼントが、その人の
考え方や人生を変えてしまうこともある。この中におさめられている作品の一つ一つが、
心地よい温もりを読み手に与えてくれる。特に「鍋セット」と「涙」は印象深かった。
この本の絵を担当している松尾たいこさんはあとがきで、生まれてから最初にもらう
大切なプレゼントは「名前」だと書いている。その通りだと思う。でも私は、生まれる
前にもうすでに大切なものを両親から贈られていると思う。それは「命」。これこそが
究極のプレゼントではないだろうか。
あの日にドライブ
荻原浩
☆☆☆
ほんのささいな上司とのもめごとで辞表を出した。大手銀行を辞めた
伸郎はタクシー運転手となるが、どこかなじめないでいた。家族とのぎくしゃく
した関係、職場でのストレスが、いつしか伸郎を過去のにおいのする場所へ
と向かわせていた・・・。
「どこで間違ってしまったんだろう?」大手銀行を辞めた伸郎はいつもそう
考えている。だが、そう考えている限り前には進めないことに気づいていない。
過去を懐かしみ、できるならあの日に戻りたいと過去を追い求める。その姿には
哀れさがただよう。だが、過去にこだわることが愚かだと知ったときに、身近に
ある大切なものが見えてくる。家族がどれほど自分を思ってくれているのかも
分かってくる。今の自分の姿は、自分自身が今の人生を選択した結果なのだ。
その結果がどうであれ、人はこれからも前を見て歩くしかない。この作品は
あらためてそのことを教えてくれた気がする。
チョコレートコスモス
恩田陸
☆☆☆☆☆
誰もが望んでいた。新国際劇場のこけら落としとなる芝居に出ることを。ベテラン女優も
アイドルと呼ばれる女性も、そして芝居をやり始めたばかりの佐々木飛鳥も。
舞台芝居に賭ける人たちを熱く描いた傑作。
読み終わった後も心臓がドキドキしていて、しばらくはおさまらなかった。
すごいものを読んでしまった。すごい本に出会ってしまった。その興奮は
ずっと続いた。
舞台の上で繰り広げられるオーデション。その凄まじい迫力。「本を読んで
いるのではない。自分もそのオーデションを実際に見ているのだ!」と
思わせるほどの見事な描写。登場人物の一挙一動、そしてその表情がありありと
目に浮かぶ。ゴクリと唾を飲み込む音さえ、生々しく聞こえてきそうな
気がした。読みながらその光景を頭で描いていくという経験は何度もある。
しかし、この作品はそういうレベルではない。文字が、文章が、これほどまでに
読み手を作中に引っ張っていけるなんて!読んでいるうちに、気がついたら物語の
中に引きずり込まれ、自分も登場人物の一人として芝居を見ていた。そういう感じ
だった。佐々木飛鳥の持つ秘められた能力。それがどんなふうに発揮されるのか?
内容自体もとても惹きつけられるものだった。「チョコレートコスモス」このたまらなく
魅力的なもの!この作品を読んだ人はすべてがすべて、この先にあるものを知りたく
なるに違いない。私の評価の最高は五つ星だが、あと2、3個星をつけたいと思った
ほどよかった。オススメです!
兄弟
なかにし礼
☆☆☆☆
両親からは期待され、弟からは憧れの目で見られていた兄だったが、戦争から
戻った兄は以前の兄ではなかった・・・。兄に振り回されどおしだった弟が描く
家族の物語。
戦争が兄の心を壊してしまったのだろうか。そのどこか投げやり的な生き方は
異常とも思える。そんな兄に翻弄される家族。特に、弟禮三が作詞家として売れて
から以降は凄まじい。普通の人間ならとっくに縁を切ってもおかしくない状態なのに、
禮三は兄をかばい続ける。切りたくても切れない。家族とはそういうものなのかも
しれないと思う。だがついに弟が兄を見限る日が来る。そして兄の死。
「兄貴、死んでくれて本当に、本当にありがとう。」
禮三の叫びの中に、深い悲しみを見た。もし戦争がなかったら、平凡な兄弟で
いられたかもしれない。そう思うと、兄の人生が哀れでならなかった。
とかげ
吉本ばなな
☆☆☆
彼女の目は黒くて丸くて、まるでとかげのような爬虫類の目だった・・・。
過去に心に深い傷を負ったとかげとの、ちょっと不思議な日常生活を描いた
表題作を含む6編を収録。
生きていくということは、楽しいことばかりではない。心のすき間を感じたり、
自分の生きてきた道をふと振り返り、今の自分はこれでいいのかと思い悩む
こともある。人はいつも揺れている。この本に収められている物語の中に出てくる
人たちもそういう人ばかりだ。幸福でも不幸でも人は迷うときがある。
作者のメッセージが静かに穏やかに伝わってくる。やさしさを感じる作品だったが、
どこか物足りなさも感じたのが残念だった。
TUGUMI
吉本ばなな
☆☆☆☆☆
生まれたときから体が弱く、長くは生きられないと言われていたつぐみ。彼女と
彼女を取り巻く人たちの、心温まる物語。
ぶっきらぼうな態度やわがままな態度が、つぐみの「死」に対する精一杯の抵抗
だったのか?つぐみはとにかく自分の好き勝手に振舞っている。だが、つぐみを
見守る人たちのまなざしはやさしく温かい。それは、彼らがつぐみの本質を分かって
いるからではないだろうか。どんな態度を取ろうとも、どんな言葉遣いをしようとも、
つぐみはやっぱりとてもすてきな人間なのだ。犬の権五郎の一件では、彼女の凄まじい
怒りを見た。それはまるで、自分の命までも焼き尽くすようにさえ思えが、そこには
つぐみの真のやさしさがあった。作者のきらめくような感性で描かれたこの作品の
ひとつひとつの言葉が、泣きたくなるほどの切なさで胸にしみてくる。はたしてつぐみの
未来は?幸せであることを願いながら本を閉じた。
暗い日曜日
朔立木
☆☆☆
著名な画家が愛人を刺殺した。罪を認める以外詳しいことはいっさい
語ろうとしない彼の態度に、川井弁護士は疑問を抱き始める。彼は
その心の中にどんな真実を隠しているのだろうか?
「死亡推定時刻」に登場した川井倫明弁護士の活躍するミステリーと
いうことで、かなり期待感を持って読んだ。だが、犯人と思される画家梶井舜と、
彼の愛人である津島七緒との関係、この事件に隠された真相など、その
どれもが新鮮ではないような気がする。かたくなに真実を語ろうとしなかった
梶井が、あっさりと真相を話す気になったいきさつもしっくりこない。
ネタバレになるのであまり詳しいことは書けないが、真実を知る決め手となった
事柄についても、プロがそんなことを見逃すのだろうか?と疑問に思った。
ただ、「ひとつの事件が起こったときには、そこに関わる人たちはすべて不幸に
なってしまう。」そのことにはやりきれなさを感じた。
Op.ローズダスト
福井晴敏
☆☆☆
アクトファイナンシャル常務取締役の水月聡一郎が殺された。巧妙に
仕掛けられた爆弾によるものだった。だが、この事件は単なる序章に
過ぎなかった。「オペレーションローズダスト」この作戦の真の目的は何か?
入江一功と丹原朋希。二人の凄まじい戦いが今、始まろうとしていた。
かつて心を通わせていた入江一功と丹原朋希。だが、ある出来事をきっかけに二人は
離反する。それぞれの心に深い傷を残して。二人が愛した女性堀部三佳が作った
「ローズダスト」という言葉。その言葉の持つ意味は深い。緻密な描写が、登場する
人物像や舞台となった臨海副都心を鮮やかに浮かび上がらせる。読んでいて
人の息づかいや光景がはっきりと感じられるほどだった。だが、並河と朋希という、
ちょっとさえない中年男性と心に傷を持つ若者という組み合わせは、今までの福井作品に
何度も登場したパターンだ。またかという印象は否めない。危機が迫る中での激しい
攻防戦は作者得意の描写か?そしてラスト。本当は感動するはずの場面だと思うが、
「終戦のローレライ」や「亡国のイージス」ほどの感動はなかった。また、入江一功や
その仲間たちがなぜこんな行動を起こしたのか?その原因となる出来事についても
説得力に欠けるように思った。
この本が、世界に存在することに
角田光代
☆☆☆☆
人間、生きていくうえでいろいろなことがある。うれしいこと、悲しいこと、
くやしいこと、腹立たしいこと・・・。本にまつわる9編の心温まる物語を収録。
本にまつわる思い出を、だれでもひとつやふたつは持っているだろう。
それが楽しい思い出なのか悲しい思い出なのかは別にして。私にもある。
本を好きになるきっかけを与えてくれた本、私の本に対する思いを変えた本、
タイトルを見ると貸してくれた人を思い出す本、そして、読んだ当時のことを
思い出させてくれる本。この作品に収められた短編の中にも、さまざまな本の
物語がある。そのひとつひとつが心にしみる。「この本が、世界に存在することに」
本好きな人なら、このタイトルに込められた作者の熱い思いがきっと分かるはず♪
レクイエム
篠田節子
☆☆☆☆
祥子が介護士をしている老人病院に、伯父は偶然入院してきた。
ベッドの上で伯父は、戦争中の自分の体験を淡々と語り始める。
その驚くべき内容。祥子はなぜ伯父が宗教の世界に身を置いたかを、
ようやく理解したような気がした・・・。表題作「レクイエム」を
含む5編を収録。
人の心の中にあるひずみ。それが見せる幻なのか?作者の描く世界は
とても不思議な世界だった。逝く者と見送る者、心のすき間を埋めようと
する者、人生を振り返る者、語られる悲惨な過去の話に耳を傾ける者。
そのどれもが悲哀に満ちている。特に「レクイエム」は読んでいて切な
かった。自分が生きるためにしたことは、結局自分の人生を狂わせていく。
他に選択肢などあるはずもなかったのに。読後、泣きたくなるような
思いが心に残った。
失踪症候群
貫井徳郎
☆☆☆☆
一見何のつながりもない若者たちの失踪。だが、調べていくうちに
それがつながりを見せ始める。警視庁にいる環から依頼を受けた、
私立探偵、托鉢僧、肉体労働者と職業も個性もばらばらな3人は、
さっそく調査を開始する。
周りからのさまざまな圧力を感じたとき、人はそれまでの人生をリセット
したくなる瞬間があるのかもしれない。生まれ変わってまったく別の
人生を歩みたくなるときがあるのかもしれない。だが、今の世の中では
それは不可能なことだ。この作品の面白さは、その不可能と思われたことを
実現するところにある。今までとは違う人生を求めたために起きた悲劇。
失踪はやはり「逃げ」にしかならない。決して幸せになる手段ではない。
大事なのは、いつどんなときでも自分自身から逃げない強さを持つことでは
ないだろうか。
激流
柴田よしき
☆☆☆
「私を憶えていますか?」中学校の修学旅行中、バスの中から突然
いなくなった少女冬葉。20年後、元の同級生に届いたメールは、
はたして本人のものなのか?そこには意外な真実が隠されていた。
失踪した少女冬葉からの突然のメール。当時、同じバスに乗っていた元
同級生たちは動揺する。20年前の出来事が、まさに激流となって
彼らを襲う。メールを出したのがはたして本人なのかどうか?20年前の
失踪の原因は?この二つが、この作品の大きな柱となっている。だが、
長すぎる。単行本約550ページ。これだけの長さがなくてもいいと思った。
長くても読者を飽きさせずに最後まで引っ張ることのできる作品もあるが、
この作品は読んでいて途中かなり退屈だった。もっと内容をコンパクトに
まとめ、テンポよく進めたほうがよかったと思う。長いだけにラストも
かなり期待したが、がんばって読んだわりには読後の満足感が少なかった。
功名が辻
司馬遼太郎
☆☆☆☆
織田信長の家中に、出世など望めそうにない山内伊右衛門という武士がいた。
彼は、千代という美しい嫁をもらう。
伊右衛門と千代が二人三脚で功名をめざし、ついには一国一城のあるじに
なるまでを描いた作品。
信長、秀吉、家康と、つぎつぎに天下を取る武将が変わる。めまぐるしく
移り変わる戦国時代。どの武将につき従うかで、おのれ自身、妻子、家来の
運命が変わる。信長の時代から無事に生き残ったのは、徳川家康と山内一豊
だけだと言われている。一豊と千代、二人力をあわせて時代の波を乗り切ろうと
する姿は感動的だ。時には命を落としそうになるが、それでも必死に生き抜いていく。
一豊はどちらかというと平凡な武将だったのかもしれない。その一豊が土佐の国の
城主になったとき、何かが変わった。晩年の一豊のやり方に、読む者は違和感を
感じるかもしれない。だが、戦国時代を命を賭けて走りぬいてきた彼だから、
やむをえないという思いもする。一豊、そして一豊を見守り続けた千代。
二人の物語は、これからもずっと語り継がれるに違いない。
北緯四十三度の神話
浅倉卓弥
☆☆☆
仲のよかった姉妹だが、両親の死後少しずつ心が食い違い始めた。そして、
かつて姉があこがれていた男性と妹が婚約したときから、二人の間には
ますます溝が広がっていった・・・。
両親の死後、二人とも悲しくて寂しかったのは同じ。だが、お互いが
お互いの心を理解しえなかった。姉は妹を、妹は姉を求めていたはずなのに。
二人はいつも歩み寄るきっかけを探していたに違いない。「何かのきっかけさえ
あれば仲直りできるのに。」そう思いながら読んだ。どんなにけんかしても、
やはり姉妹は姉妹だと思う。私にも妹がひとりいる。菜穂子と和貴子のできごとは、
人ごととは思えない。いつまでも二人が仲のよい姉妹でありますように。何だか妹に
逢いたくなった。
凍
沢木耕太郎
☆☆☆
難関と言われたヒマラヤの高峰「ギャチュンカン」。この峰に、山野井夫妻が
挑戦した。過酷な状況で二人はいかにして登頂したのか?壮絶な記録。
おそらくフィクションでもここまでは書けないだろう。そう思わせるほどの
過酷な状況だった。おのれの肉体だけでなく精神の限界さえも超え、登り
続けた二人。いったい彼らをここまで駆り立てるものは何なのだろう。
凍傷で手や足の指を何本失っても、二人の山への情熱は消えない。
山と人間。登られるものと登るもの。研ぎ澄まされたやいばのような緊迫感が、
読み手にも伝わってくる。まさに「凍」の世界。圧倒されそうな作品だった。
エンド・ゲーム
恩田陸
☆☆☆☆
父の失踪後、母暎子と二人で生きてきた時子。ある日母が旅行先で
倒れ、意識不明になる。「体に異常がないのに母は目覚めない。」
時子はその謎を解こうとするが・・・。常野物語シリーズ。
「あれ」の存在。「裏返す」か「裏返されるか」そのどちらかしか選択肢が
ない!そのことに怯えて暮らしてきた暎子と時子。真実と虚偽のはざまに
つくられた迷宮の中には、果たして何が存在するのだろうか?
読んでいる側も、何が真実なのかよく分からなくなるような世界だった。
だが、ぞくぞくするほどの面白さを感じた。人の心の中にはどんなものが
潜んでいるのか?そのことを考えると恐怖を感じる。彼らはゲームを楽しんだ
だけなのか?その結末から、今度はいったい何が生まれるのだろう?
アコギなのかリッパなのか
畠中恵
☆☆☆
母親違いの弟の面倒をみながら、元大物代議士のところで事務員として
働く大学生の聖。この事務所に次々と難題が持ち込まれるが。
事務所に次々と持ち込まれる難題。その中には不思議な謎を秘めたものも
ある。はたして聖はどのように解決していくのか?この謎解きも面白いが、
事務所でのいろいろな人のやりとりも面白い。登場人物が個性豊かに
生き生きと描かれていて、その様子は目に浮かぶようだ。世の中には
難題や謎がたくさんある。しかし政治の世界ほど、それがたくさんある
ところはないだろう。タイトルも、この本にぴったりだと思った。
ただ、難題の解決方法、謎の正体がちょっと平凡だった。
虹とクロエの物語
星野智幸
☆☆☆
無心に二人でサッカーボールを蹴り合った日々があった。
かつて親友だった虹子と黒衣。20年ぶりに二人は会うことに
したのだが・・・。
二人の間に言葉はいらなかった。ただボールを蹴っていれば気持ちが通じ合った。
だが、その関係も終わりを告げる。それは成長のあかしなのか?それとも
お互い、見つめる方向が違ってきたからなのか?私にも似たような経験がある。
生涯親友とまで思って友と、いつの間にか離れてしまっていた。二人の物語を
読んでいて、無性にその友達に会いたくなった。昔のようにはなれないけれど、
自然に笑って話ができるような気がする。全体的に難解な物語だった。だが、
作者の思いをしっかりと感じた。
関東大震災
吉村昭
☆☆☆
1923年(大正12年)9月1日、関東地方に大地震が起こった。
死者の数は20万人。地震はどのように起こったのか?また、地震による
火災の恐ろしさはどれほどであったのか?克明に綴った作品。
地震による直接の被害もさることながら、その後に起こった火災が犠牲者の数を
かなり増やしてしまった。逃げ場を失い焼死する人たちの姿は無残としか言い
ようがない。また、地震直後に起こった噂や風潮は人々をますます混乱させていく。
人間の集団心理というものの恐ろしさをまざまざと見せつけられた。地震直後、
正確な情報の必要性が強く感じられる。地震はいつ起こるか分からない。大地震が
起こったとき、はたしてうまく対処できるのか?80数年前の関東大震災、そして
近年起こった阪神大震災。そこから学ぶべきことが、まだまだたくさんあるような
気がした。
メドゥサ、鏡をごらん
井上夢人
☆☆☆
一人の男が自殺をした。その奇妙な死に方は彼の娘とその婚約者を
困惑させる。自らをコンクリートで固めた死の意味は?そして残された
メッセージ「メドゥサを見た」に隠された秘密とは?
自殺した藤井陽造の娘菜名子とその婚約者の「私」は、残されたメッセージや
ノートから彼の自殺の真相を探ろうとする。そこから浮かび上がる23年前の事件、
そして「私」の周りで起こる不思議な出来事。謎を知りたいために読み進めるの
だが、読み進めば進むほど謎は深まるばかり。これははたして呪いのためなのか・・・?
結末は意外なものだった!そこからまたこの物語が新たに始まり、再び繰り返して
いくのだろうか?そうだとしたら、そのときの結末はどうなるのか?頭が混乱しそうな
話だった。
金春屋ゴメス
西條奈加
☆☆☆
日本の中に独立国家として存在する江戸。5歳の時一度江戸を離れた
辰次郎は、15年後格別のはからいで再び江戸へ。金春屋のゴメスは
辰次郎に、鬼赤痢の正体を暴けと命じるが・・・。
15年前、鬼赤痢にかかった子供の中で助かったのは、辰次郎ひとりだけ
だった。なぜ辰次郎は助かったのか?すべては辰次郎の記憶にかかっている。
鬼赤痢の正体、そして治療方法。それがこの作品の鍵になっているのだが、
分かってしまえばそれほどの驚きはない。むしろ平凡。だが、日本の中に
江戸が独立した国として存在するという発想は面白かった。まさに古きよき
時代の象徴。そこに生息する(?)ゴメスは、ちょっと漫画的すぎる気も
した。タイトルが生かされていないのでは?
その日のまえに
重松清
☆☆☆
あたりまえの日常があたりまえでなくなる日・・・。愛する人との別れの日は
確実に近づいてくる。人間の生と死を、温かな目で見つめ描いた作品。
生と死、出会いと別れ。この相反するものの持つ悲しさ。いつかは来る。その日が。
私たちはそれまで何ができるのだろう?この作品は静かに問いかけてくる。たくさんの
人の中から、なぜ自分が?なぜ愛する家族が?そのことに答えてくれる者は誰も
いない。その厳しく悲しい現実が、読んでいる私に何度も本を閉じさせようとした。
そして、自分自身にも来る「その日」・・・。その事実が重く暗くのしかかってくる。
あまりにもつらい話ばかりだった。
東京物語
奥田英朗
☆☆☆
1970年代後半から80年代。携帯もない時代だったけれど、楽し
かった・・・。田村久雄という一人の男性の、10代後半から20代を
描いた作品。
70年代、そして80年代。その時代時代の主な出来事を背景に描かれた
この作品は、同時代同世代だった私の心を懐かしさでいっぱいにする。親から
離れたい、大学生活を楽しみたい、一人前に仕事をしたい。どれをとっても
私が考えていたことと同じだ。喜びもあったが、時には挫折もあった。いろいろな
ことを経験し乗り越えて、今の自分がある。できれば今現在の久雄に会ってみたいと
思った。どんな人生を送っているのだろうか?
高熱隧道
吉村昭
☆☆☆☆
昭和の初め、黒部峡谷では黒部第3発電所の電源開発工事が積極的に進め
られていた。この工事に必要な資材を輸送する軌道トンネルの工事も
行われていたが、それは世界隧道工事史上きわめて特異な、そしてきわめて
困難な工事だった。
工事をしている場所の岩盤の熱さは160度以上。放水しながらの工事でも、
過酷さを極めた。人間が生きられる環境ではない。そんなところで人夫たちは
昼夜を問わず働き続ける。転落事故、雪崩事故、ダイナマイトの自然発火による
爆発事故などで、次々に犠牲者は増える。黒部第3発電所が完成するまでに
犠牲者は300人を越えた。この犠牲者の数だけでも、工事がいかに困難な
ものであったのかが分かる。読んでいてただただ驚くばかりである。それに
しても、自然というのは何と厳しいものか!決して人を寄せつけようとはしない。
その自然に戦いを挑んだ人間たち。トンネル貫通が勝利と呼べるのか?素直に
喜べない苦さが残った。
99%の誘拐
岡嶋二人
☆☆☆☆
生駒洋一郎が、誘拐された5歳の息子慎吾のために支払った5000万円は、
会社再建の大切なお金だった。それから20年の歳月が流れ、ある誘拐事件が
起こった。被害者はリカードという会社の社長の孫の兼介。リカードは
かつて、生駒洋一郎の会社を合併しようとしていた会社だった。はたして今回の
誘拐は、20年前の出来事と関係があるのか・・・?
誘拐の仕方、身代金要求の連絡方法、身代金の受け渡し方法など、どれをとっても
それは驚くべき方法だった。決して警察に所在をつかませずに、ハイテクを駆使して
動き回る犯人。1988年に書かれた作品だが、その斬新なアイディアは
今読んでも文句なく面白い。警察と犯人の駆け引きは、はたしてどうなるのか?
息詰まる展開に目が離せない。特に後半からラストまでの流れは鮮やか!
読後感もよく、満足のいく作品だった。
砂漠
伊坂幸太郎
☆☆☆☆
大学に入った若者たちは、何を見て何を感じたのか?作品を春夏秋冬の
4つに分け、彼らの生活を生き生きと描いた作品。
北村、西嶋、南、東堂、鳥井。一人一人の個性が光る。特に西嶋の
キャラは圧巻。実際にいたら困るだろう、実際にいたら楽しいだろう。
この二つの思いがある。四季の移り変わりの中、彼らの生活が鮮やかに描き
出される。中にはとてもつらい季節もあったが・・・。全体を通して伊坂さん
らしい作品だと思った。
「その気になれば砂漠に雪を降らすことだってできる!」
彼らならどんな望みも叶えてしまうのではないだろうか。そう思わせる
情熱が、この作品には確かにあった。できるなら、私ももう一度大学生に
戻りたい。
リミット
野沢尚
☆☆☆☆
幼い子供が次々にいなくなる事件が発生した。そして、楢崎あゆみと
いう7歳の女の子が誘拐され、犯人から身代金要求の連絡が!捜査を
担当することになった有働公子だが、彼女の息子も誘拐されてしまう。
彼女はわが子を救うため、警察官としてではなく母親として行動する
ことを決心をした。
なぜ子供たちが誘拐されるのか?なぜ身代金の要求がないのか?そして、
楢崎あゆみはなぜ身代金を要求されたのか?犯人たちの目的が明らかになるに
従い、犯人たちへの怒りが大きくなる。お金のためなら手段は選ばない彼らの
やり方は、残酷極まりない。そんな彼らに、公子は敢然と立ち向かう。その姿は、
警察官というよりひとりの母親だ。文庫本で500ページとかなり長いが、
作者は巧みな構成と筆力で、最後まで読者を作品に釘付けにする。サスペンス
ドラマを見ているような緊迫感があり、とても楽しめる作品だった。ただ、
子供たちを連れ去る目的が残酷で、胸が痛くなる思いもした。
柔らかな頰
桐野夏生
☆☆☆
「捨てたはずの北海道なのに・・・。」カスミは石山に誘われて、支笏湖畔の
別荘にやってきた。そして、お互いの家族の目を盗み、石山との逢引を重ねる。
そんな中、カスミの娘有香が行方不明に!何年も有香を探し続けるカスミの前に、
ガンで余命いくばくもない元警察官の内海が現れた。
カスミの探しているものはいったい何だったのだろう?本当に娘の有香
だったのか?本当に捜し求めているものは、案外自分の心の内にあるのかもしれない。
あれほど嫌っていた北海道。そして両親。だが、最後にカスミがたどり着いたのは
嫌っていた場所だった。母の生きざまや内海の命が消えゆくさまは、カスミの
生き方を変えようとする。開き直りなのか?再生なのか?それはカスミ自身にも
分からないような気がした。
キッチン
吉本ばなな
☆☆☆☆☆
「私が一番好きな場所は台所。」
たった一人の肉親である祖母が死んでしまい、みかげは田辺家に
引き取られることになった。祖母と田辺雄一との縁。雄一と雄一の母(?)
えり子とみかげの奇妙な同居生活。みかげが田辺家の台所を通して
見たもの、感じたものは?表題作を含む3編を収録。
泣けた。とにかく泣けた。大切な人を失う悲しみ、そしてそれを乗り越え
なければならないつらさ。生きていくことの切なさ。どれも泣けること
ばかりだった。人は悲しみが深いと、自分自身を支えていくこともできなく
なる。そんなとき、やさしく手を差し伸べてくれる人がいたら・・・。人の死が
もたらす悲しみと、残された者の心の再生がとてもよく描かれていて、感動的な
作品だった。
まぶた
小川洋子
☆☆☆
Nと初めて会ったのは、Nが鼻血を出して倒れているときだった。
Nは、病気でまぶたを切り取られたハムスターを飼っていた。
ずっと見続けなければならないという行為は、いったい何をもたらすのか?
表題作を含む8編を収録。
見る、見ない。睡眠と覚醒。光と闇。生と死。そこにはまぶたが深く関わっている。
目を閉じるだけで、自分が別の世界に引き込まれてしまったような感覚を
味わう。まぶたは薄い皮なのに、時には人の心を左右するほどの力を持っている。
作者の描く世界は独特だ。時には摩訶不思議で、時にはちょっぴり怖く、そして
時には涙が出るほど切ない。この作品を読み終えてまぶたを閉じた時、その時に
作者の思いが見えてくるような気がする。
東京奇譚集
村上春樹
☆☆☆
「まさか、そんなことはあるはずがない。」そう思いながらも心の
どこかで「あり得るかも・・・。」と思ってしまう。そんな不思議な
話を5編収録。
あり得なさそうであり得る話。単なる偶然と片付けるにはあまりにも
不思議な出来事。そういうことを経験した人は、世の中にはけっこういるの
かもしれない。いつもの日常生活の中にそれは何気なく存在していて、ある時
ふっと現れる。怖いような気もするし、体験してみたいような気もする。科学では
割り切れないものが、この世の中にはまだまだたくさん存在する。それはきっと
人の心の中にも存在するものなのだろう。しばし日常を忘れさせてくれる
作品だった。